タイマッサージとルーシーダットンの特徴

 

タイマッサージもルーシーダットンもタイの伝統医学に基づいたメソッドであり、

その基本はカラダの中に72,000本あると言われる“セン・プラターン”の中でも、

特に重要な10本のセン、“セン・プラターン・シップ”にアプローチすることです。

 

センとは日本語で線、英語でラインのことです。

プラターンとはヨガでいうプラーナ、つまりエネルギーのことです。

 

セン・プラターンというエネルギーラインには、

血液が流れ、リンパが流れ、神経が通っています。

 

タイマッサージの場合は他動的、ルーシーダットンの場合は自動的に、

ストレッチを行なうことによって、エネルギーラインを活性化させていきます。

 

タイ独特のゆったりとしたリズムに合わせてカラダを動かしていくことによって、

ストレッチ、指圧、整体的効果に加え、また単なるエクササイズやマッサージとは違う、

何とも言えない心地よい癒しとリラックス感を得ることができるのです。

 

昨今の健康ブームにより、ルーシーダットンにおいてもエクササイズ的な要素ばかりが注目され、

呼吸の方法、手や足のアライメントなど“技術的な正解”を求める傾向にあります。

 

タイマッサージにおいても、

西洋的なストレッチや整体法のひとつのバリエーションとして組み込まれていることもあり、

本場の施術者が持つタイ特有のリズムが失われていると感じることもあります。

 

タイという国には独特のリズム“間”があります。

タイが癒しの国と言われる所以は、この間にあると思っています。

 

 

幸福の定義とは?

 

幸福⇔不幸

快感⇔苦痛

 

大金持ちでも不幸な人がいる。(所有する財産の中に幸福の源はない)

美味しい料理でも、食べ過ぎると苦痛になる。(食事の中に幸福の源はない)

お酒が苦手な人は、酒席が苦痛である。(嗜好品の中に幸福の源はない)

 

 

苦い緑茶は日本では快感の源があるが、他国では違う。(幸福は地域の生活習慣の中にある)

同じ料理でも食べる相手や気分によって、美味しさが異なる。(幸福は人の心の中にある)

目を閉じて心が静まると、喜びが心の底からわき上がってくる。(物とは関係ない)

 

つまり・・・

幸福は外の世界ではなく、自分の内心にある。

 

幸福の3要素

①誰もいない南の島のビーチでお気に入りの本を読んでいる時の心。

 →内心の状態が“良い集中状態にある”時の心

②本を閉じ、空を見上げ、地球がゆっくり回っているのを見ている時の心。

 →内心がゆっくり動いている時の心

③目を閉じて、大の字になって、カラダ全体で地球を感じている時の心。

 →内心の静けさ、つまり“無心”の状態を感じている時の心。

 

無心とは、心をなくしてゆくことではなく、

変化しない本性と結びついて、

肩書きや名前など変化していく属性に囚われることのない状態。

 

ウパニシャッドにおいて人間の目標とは幸福になること。

幸福とは、自由を得て、歓喜を得て、力を得ることである。

 

これは感覚器官の対象物である衣食住のなかにはない。

にもかかわらず人は、物質的な豊かさの中に幸福があると錯覚している。

科学技術力を高めて、物が豊かな社会こそが幸福な社会と錯覚する

 

・現代生活に活かせる伝統的ヨガの勉強法

ヨガの聖典カタ・ウパニシャッドには、

伝統的なヨガの瞑想法“ヴェーダ瞑想法”について書かれています。

①シュラヴァナ(聴聞)

②マナナ(熟慮)

③二ディディヤーサナ(日常の深い瞑想)

④ギャーナ(気づき)

 

現代社会

①仮説を立てる

②実践する

③検証する

④法則を見いだす

 

 

・変化するものばかりによりどころを求めているとおかしくなる。

自然の成り行きにはあらがえない。美しくなるヨーガはナンセンス。

変化に合わせているといつも安心できない。

伝統的なヨガはポーズを美しくとることではなく、心を律することである。

心を整えると自然と体も変わり病気になり難い健康なカラダになる。

 

・まずは応諾する

応諾してから、よく考える。○○はできる、○○はどうすればよいか?

そうしていると内側から神様が智慧を与えてくれる。願望の成就者となる。

私がいいとかいやとかではなく、すべては天が決めたもの。

熟すと弓は的に向かって勝手に飛んで行く(弓と禅)

 

・人間万事塞翁が馬

ものごとには良いも悪いもなく、それらはすべて天が決めたこと。

だから日々変化する出来事に一喜一憂することない。

 

・人生の目標

①自由を得ること(変化するものに囚われないという自由を得ると)

②歓喜を得ること(無心の状態での本当の喜びを得て、)

③力を得ること(智慧がわき上がってくる)